残酷劇場

A fragment of the stage floor

いつの間にやらすっかり枯れ葉散る季節となっていたのですね。

昨日より、舞台『黒蜥蜴』のお稽古が始まりました。
演出家のデヴィッド・ルヴォーさんを筆頭に、スタッフの皆様、25人もの出演者の皆様と共に、三島由紀夫の言葉を少しずつ噛み砕いていく日々が始まったのです。

ピーター・ブルック演出の『真夏の夜の夢』を13歳の時に観劇なさったルヴォーさんは、後々その時の作品についてピーター・ブルックが語っていた言葉を引用して、「『言葉が空中でぶつかり合っているような作品』という表現が、今回の作品にも相応しいだろう」とおっしゃっていました。

まずは全体の流れを大まかにつかむために、次から次へと存外のスピードでお稽古が進みます。
覚えていたつもりの台詞でも、実際に相手の役者さんの声を聴き、動きながら口にしてみると、言葉に詰まったりします。
待てど暮らせどルヴォーさんからカットのお声がかからず、「どこまで進むのだろう…..」と共演者の方々と目配せをしながら、探り探り台詞を交わすうちに、不思議と共犯者意識が芽生え始めました。
そして、なんと2日目にして台本の1/6頁分の動きが、暫定的ではありますが決まったのです。

稽古場に沢山の方々がいらっしゃることも初めてで、まるで突然観客の皆様の前で、未完成の作品を披露しているような、そんな恐ろしさがあり、ひそかに「残酷劇場」と名付けました。
これから本番までの間、ルヴォーさんの魔法の言葉に導かれ、共演者の方々の豊かで変幻自在な表現力に刺激をいただき、助けられながら、良き作品を作るための失敗を何度も繰り返すことになるのでしょう。
試みては壊し、壊した断片をすくい上げてはまた新たに築き上げることのできる贅沢な時間を楽しみたいと思います。

年明け1月9日より幕が開ける『黒蜥蜴』に、ぜひお越しいただけましたら幸いです。

Opera

“Fat House” created by Erwin Wurm at Schloss Belvedere in Vienna

ただ今、クリスマスマーケットにて賑わうウィーンにおりますが、心はどうも落ち着かず、気が急いて仕方がありません。

舞台『黒蜥蜴』のお稽古が間もなく始まるのです。
三島由紀夫さんが美輪明宏さんに懇願してようやく上演が叶ったというこの作品を演じることは、大きな覚悟を要することです。
美しい言葉で語られる名探偵明智小五郎と女盗賊黒蜥蜴の攻防戦は、究極のエンターテインメントであり、大人のロマンチックなラブストーリーでもありますが、台詞の美しさゆえに、私の中で理性と感情が激しく闘っています。
おぼろ気な記憶のままでは、言葉を探すことに必死になって心の扉を解放することができません。また、感情ばかりが先走っても、言葉が置き去りにされてしまいます。

一日も早く、言葉の呪縛から解放されて、自由にのびのびと台詞を口にすることができるように、ただひたすらに台本を読む日々です。
記憶力を助けるために、ピンクの紙に青で印字した台本をipadに入れて、ジムのウォーキングマシンや、ステップマシーンの上で汗だくになりながらぼそぼそとつぶやいています。

夜には、身のこなしや声の響きを学ぶため、国立歌劇場にてオペラ鑑賞を。
天井桟敷なら14ユーロなどと格安でチケットを入手することが叶い、時には上演開始ギリギリで、「持って行け泥棒!」とばかりに、チケットの投げ売りを始めるディーラーがいて、挙げ句の果てに「もういいよ、君にあげるよ」と無償でチケットを譲っていただけることすらあるのです。
そうして座った席の隣には、何十年も暇つぶしにオペラ鑑賞をしていらっしゃるという高齢のご婦人がひとりで腰掛けていらして、「あのテノールのテクニックは素晴らしいわ」などと、様々教えてくださいました。

『蝶々夫人』など、女性蔑視もはなはだしい上、人種差別的で、20数年前に鑑賞して以来、ずっと苦手な演目でしたが、かつて映画にてその妻を演じさせていただいた藤田嗣治が美術を手がけていたため、あまり期待せずに聴きに行ったところ、蝶々夫人がわずか100円(現在の価値で100万円ほど)でアメリカ人に買われて嫁ぐ際に、「いずれはアメリカ人の妻をめとるつもりだけれど、とりあえずつかの間の結婚を」というくだりで、やはり憤りを覚え、日本文化を少々誤解している節が多々あり、違和感を拭いきれないものの、結末はわかっていても、夫と息子を同時に失った蝶々夫人が自ら死を選ぶ際には、悔しいかな泣かされてしまうあたり、やはり良く出来た物語なのでした。
きっと、エジプトの方々が『アイーダ』をご覧になっても、同じように違和感を抱かれるのでしょうが、私たち聴衆はそんなことも気にせずに感涙にむせぶのですから、作劇の過程において誇張表現は必要悪とも言えるのでしょう。

伝統芸能と言えるオペラも様々な試みがなされ、絢爛豪華なセットにまばゆいばかりの衣装といった作品ばかりではなく、普遍的な物語をいかに今の時代に即した表現に置き換えるかという模索がなされているようです。
成功例も失敗例も様々あるようですが、勇敢な挑戦の目撃者であり続けたいと思います。

デヴィッド・ルヴォー氏演出による『黒蜥蜴』は年明け早々の1月9日より日生劇場にて上演です。
ぜひ足をお運びくださいますよう、お願い申し上げます。

摩天楼

Overwhelmed by skyscraper in Shanghai

しばし中国へ出かけておりました。
かつてアジアにて覇権を誇った彼の国が、文化大革命によって失った勢いをすっかり取り戻し、発展し続ける姿に圧倒されました。
日本でもここ数年で中国からの観光客をずいぶん見かけるようになり、彼らによる爆買いの有無が私たちの暮らしに影響するほどにまでなりましたが、中国本土に渡ってみると、諸外国の支社や支店が日本から撤退して、あちらでのビジネスに活路を見出そうとする意味を痛感させられました。
マカオに至っては、カジノが隆盛を極め、眠らない街と化した中心部では、新たなホテルが次々に建設されています。人生そのものがギャンブルのようなものだと思っているため、賭け事には全く興味のない私でも、人々が真剣勝負をする巨大なカジノに思わず見入ってしまいました。道を誤って訪れたあるホテルでは、浮き世の雑事を全て忘れさせ、夢心地にさせて浪費させるための竜宮城のごとき装飾に目がくらみそうになり、恐ろしささえ覚えました。

経済の発展と共に、かつて失われてしまった文化を取り戻し、市民の日常に潤いを与えようとする姿勢も各地に新設された美術館や劇場、コンサートホールなどから伺い知ることができます。
音楽に親しむ人口も増え続けているようで、アンドリス・ネルソンス氏がタクトを振ったコンサートを鑑賞する方々の示す音楽への理解の深さに、クラシック音楽の未来は決して暗いものではないと、希望を抱くことができました。

ご存じの通りGoogleやSNSのいくつかに国の規制がかかり、日本とのやり取りに少々困難を覚えましたが、その一方で、中国の都市部ではITの普及率が凄まじく、アリババの系列のアリペイや、中国独自のSNSであるWeChatによるWeChat Payなどでの決済が当たり前に行われていました。

上海、南京、マカオと訪れる中で、とりわけ南京では日本人であるがゆえに忌み嫌われることを恐れていました。
しかし、訳あって深夜に友人と訪れた南京の火鍋屋さんにて、思いがけずおいしい和牛の薄切り肉にあずかり、繊細に切り分けられた野菜や薬味を滋味深いスープと共に味わう傍らで、iPhoneの翻訳アプリにて、必死に私たちと会話をしようと試みる若いスタッフに癒やされました。
お店の方のご厚意によってマンゴーまでいただいてしまったのですが、会計時にクレジットカードが使用出来ず、現金が不足していたため、近くのキャッシュディスペンサーにて現金の引き出しを試みるもうまくいかず、お店のかわいらしいお嬢さんたちと渡り歩いた3件全てにて手持ちのカードが使用できず、あわや無銭飲食の罪に問われるのかと思いきや、かわいらしいお嬢さんと、店長らしき青年がホテルまで集金に来てくださることになったのでした。
同乗したタクシーにて、「恥をかかせてごめんなさい」と、件の翻訳アプリを私たちに見せるお嬢さんの健気さに、心を鷲づかみにされました。

エンジン音の聞こえない電動バイクが横断歩道を行く歩行者のことなどお構いなしに走ったり、歩道ですら我が物顔で走行することには辟易しましたし、高層ビルが林立する摩天楼の傍らで、わずかな商いをするあばら屋のご主人を見かけると、格差の拡大は日本の比ではないことを突きつけられましたが、10年ほど以前に訪れた時よりずいぶんと過ごしやすく感じられました。

めざましい発展を遂げる近隣諸国から日本だけが取り残されてしまったような寂しさも否めませんが、私たちには、私たちの良さがあると信じています。

さて、連続ドラマW東野圭吾『片想い』が毎週土曜日22:00よりWOWOWにて放送中です。性同一性障害に苦しむ主人公の美月を演じておりますので、ぜひご加入の上、ご覧いただけましたら嬉しいです。

人生は素晴らしい

Looking up at the ceiling

来年の1月9日より日生劇場にて上演予定の舞台『黒蜥蜴』に出演させていただくことになりました。
江戸川乱歩原作の名探偵・明智小五郎シリーズより、三島由紀夫が戯曲化した極上のエンターテインメントを、デヴィッド・ルヴォーさんの演出にてご覧に入れます。
明智小五郎は井上芳雄さん、黒蜥蜴に狙われる宝石商の娘早苗を相楽樹さん、黒蜥蜴に仕えるひな夫人は朝海ひかるさん、さなえの父親である宝石商をたかお鷹さん、そして、黒蜥蜴の手下である雨宮潤一を成河さんが演じてくださいます。

お稽古に先駆けて、都内某所にて3日間のワークショップが開催されまして、お〜いお茶プレミアムティーバッグをポンッと入れたタンブラーを携えて、稽古場に向かいました。
日生劇場のような大きな劇場の舞台に立つのは初めてのことで、さらには20名を越える出演者の皆様と演劇に携わることにも慣れておらず、恐る恐る扉を開いてみると、名演出家のルヴォーさんによって、緊張している出演者ひとりひとりの心をほぐし、チームワークを形成するためのエクササイズが様々与えられ、稽古場は真剣に遊ぶ大人達の笑いに充たされました。

水を得た魚のように生き生きと、即興で表現をなさる出演者の皆さんを目の当たりにして、あまりにも豊かで、愉快で、観客になったような気分で抱腹絶倒しておりました。
達者な役者さんたちの輪の中に演劇経験の浅い私が入っては、足手まといになることは明白ですが、それでもルヴォーさんが手を差し伸べてくださり、三島由紀夫の美しくも残酷な言葉に絡め取られ、身動きができなくなりそうな心境を救っていただけました。

始まりはゆるやかに、あたたかく、間口は広く、懐深く、とはいえ、これから本番までは怒濤の台詞にさいなまれ、それを血の通ったものとするために、身もだえることになるのでしょう。
しかし、ルヴォーさんが三島由紀夫の近代能楽集の台詞から引用し、皮肉交じりにつぶやく『人生は素晴らしい』という言葉を拠り所に、準備に励みたいと思います。

黒蜥蜴と明智小五郎、共に犯罪に取り憑かれ、磁石のように惹かれ合う二人のロマンチックな愛の物語をぜひ劇場にてご覧いただけましたら嬉しいです。

Bertitude

The headquarters of DERVAUX in Brussels

The headquarters of DERVAUX in Brussels

現在発売中の婦人画報10月号、そして同じく婦人画報の12月号、さらにはBS朝日の紀行番組撮影にて、ベルギーのブリュッセルを訪れました。

世界最古の皮革製品ブランドとしてベルギー王国が誇るデルヴォーの本社兼工房では、妻であり、母でありながらも、伝統的なデルヴォーのバッグに新たな息吹をもたらすデザイナーとして、自立した女性像を確立なさっているデザイナーのクリスティーナ・ゼラーさんのエスプリに圧倒されました。
ユーモア、気遣い、装い、すべてが魅力的で、「こんな懐の大きな女性に果たしてなれるものだろうか?」と、憧れの眼差しを隠せませんでした。
デザイナーであり、誰もが追随したくなるようなカリスマでありながら、決してご自身が前に出ることなく、常にデルヴォーがあるべき姿を優先し、会話の主語がいつもデルヴォーだったことが印象的でした。

また、50年以上前に販売されたバッグを丁寧に修理してお客様にお戻ししたり、新たな試みにも果敢に取り組む職人さんたちの、バッグ作りにかける熱き想いに触れることができました。
中には親子代々デルヴォーの職人さんを務めていらっしゃる方もいらして、まるで自分の子供のようにバッグを大切に扱う姿に胸を打たれました。

ブランドの名前がバッグの表面に一切書かれていない、控えめでエレガントなデルヴォーのバッグは、持つ人の個性に寄り添ってくれます。ドレスアップをした際にはもちろん相応しく、さらにはカジュアルな装いでもキリッと引き締まるので、崩しすぎにならないところが心強いです。

BS朝日の紀行番組「中谷美紀 ベルギーらしさと出会う」は、9月23日14:00より放送です。ぜひご覧下さいませ。

忙中有閑

Iris shot in the garden of Nezu museum

Photo of Irises Growing in the Nezu Museum Garden

このところ新たな作品の撮影中ですが、昨日は幸運にも撮影が早く終わったので、根津美術館にて毎年恒例の「燕子花図屏風」を鑑賞し、尾形光琳が描いたその美しき画の余韻を味わいつつ、都会のオアシスとも言える丹精されたお庭にて、青々としたかきつばたを眺めて参りました。

トレーニングに撮影、そのほかにもさまざま詰め込み過ぎまして、少々疲労が蓄積しておりましたが、大好きな作品に触れ、木漏れ日の中を歩くと、再び力がみなぎるのを覚えました。

更には、国立近代美術館にてイヤホンガイドも担当させていただいている「茶碗の中の宇宙-樂家一子相伝の芸術−」を鑑賞して参りました。

初代の長次郎からはじまり、三代道入、尾形光琳や乾山の従兄弟でもあった五代宗入などを経て、当代の吉左衛門さん、そして十六代篤人(あつんど)さんにいたるまで、樂家の系譜を辿ることのできるこの展示では、各人が伝統と革新の狭間でもがき、苦しみ、自らの道を見出そうとして来たであろうことが見受けられます。

とりわけ当代の樂吉左衛門さんのアバンギャルドな作品からは、450年以上もの歴史を背負って生まれてしまったことに対する苦悩や、反骨精神があふれており、西洋美術への深い理解とともに、日本の伝統に新たな道を示すべく、闘っていらしたように感じられました。。
初期の作品では、色やテクスチャーで果敢に挑戦しておいでで、ジャズのような即興性や、ロックのような猛々しさを感じる作品も多々ありました。
フランス滞在中の作品群は、土や釉薬などが著しく異なり、樂家の伝統に縛られない自由でのびのびとした作陶であったことが色や形状に現れていました。
そして、最も心動かされたお茶碗が、荒波のなかで、もがいてもがいてようやく辿り着いたような、静かな世界が現れた最後のふたつのお茶碗でした。
全ての抵抗をやめ、ただあるがままに無心で作られたようなお茶碗を拝見した際に、450年分の壮大なスケールの映画やオペラのエピローグのような、感慨がありました。

魂をこめて物作りをなさっている方の作品は、もの言わずして饒舌に語るのですね。
展覧会は5月21にまで開催中です。
お時間が許す折に、ぜひおでかけくださいませ。

吸血鬼

Mount fuji from the window of the airplane

Mount fuji from the window of the airplane

新たな作品の撮影のため、東京へ戻って参りましたが、肉食が止まりません。

筋トレをすればするほど、身体は筋肉の素となるたんぱく質を欲するので、我が家の冷蔵庫には、赤身のお肉としゃぶしゃぶ用の豚ロース、ラムチョップ、そして牛、豚、鳥、それぞれの挽肉を常備しています。
今宵も常温に戻した牛ヒレ肉を表面だけさっと炙り、これもまた表面だけ火の通った目玉焼きを乗せて、フライパンの余熱で温めたにんにくしょうゆと石垣島ラー油をかけていただきましたが、とろっとした卵の黄身と柔らかなお肉の相性のなんと良いことでしょう。
ヒレ肉1枚ではとても足りず、さらに追加でもう1枚、そして目玉焼きも同様にもうひとつ、ペロリと平らげてしまいました。
もちろんそれだけではありません。ゆでた空豆にサラダ、やわらかな刺身こんにゃく、そしてお取り寄せした手打ち蕎麦も加わって、まるでプロレスラーか相撲取りにでもになったような気分です。

お肉は、血の滴るような極レアが好みです。
生に近ければ近いほど、肉質がやわらかいままで、臭みも少なく感じるのです。

年齢と共にお肉を消化できなくなってきたとの声を度々耳にしますが、私の場合、年を重ねるごとに、お肉の量が増えつつあります。
数年前まで、魚介や卵は口にするにわかベジタリアンだったことが嘘のようですが、肉食を解禁して以来、お陰様でずいぶんと体力がつきました。

明日も筋トレの予定です。
良き週末をお過ごしくださいませ。

Wild Garlic

Wild garlic picking in Lobau

Wild garlic picking in Lobau

間もなく始まる撮影のために、苦手な筋力トレーニングをしております。

ピラティスやジャイロトニックのような低負荷でゆっくりと回数を重ねるタイプのトレーニングは心地よく、大好きなのですが、重いウエイトを用いた筋肉を大きくするためのトレーニングは本当に苦手です。

ジムで顔を真っ赤にしながら私の体重よりはるかに重いウエイトをつけてトレーニングをする男性たちを見る度に、自分とは無縁の世界だと思っておりましたが、まさか歯を食いしばって筋肉がチリチリと焼けるような痛みを味わう日が来ようとは…….。

もちろん、男性のような大きな身体になりたいわけではなく、なろうとしたところで簡単になれるものではありませんが、これまで摂取していたプロテインの量を2倍に増やし、集中力とモチベーションを高めるために抹茶とミックスして飲んでいます。

個人的なウイークポイントである内転筋と殿筋群を鍛え、持久力を高めるために、SPECIALIZEDの電動アシスト付きマウンテンバイクも購入しました。
生まれて初めてのマウンテンバイク購入に際しては、時代の移り変わりの早さに驚かされました。
オプションで付けたiphoneより小さな手のひらサイズのコンピューターに、地図や走行距離のみならず、自らの心拍数や消費カロリー、バッテリーの残量などが表示され、iphoneやPCとの連動で、毎日のトレーニングを記録することができるのですね。

とは言え、そもそもが怠惰な性格ゆえ休日は何もせずにゴロゴロしていたいタイプでして、マウンテンバイクでのトレーニングにも、何かしらの餌がぶら下がっていなければ、重い腰がとても上がりません。
この度は、ヨーロッパにおける春の風物詩であるワイルドガーリックを摘むことをモチベーションにして、ウィーン郊外のローバウまで足を延ばしました。
ドナウ川の支流沿いをひたすらに走り、時折坂道では電動アシストの最強モードで軽々と登り、平坦な道では自力でペダルを漕ぐうちに、ナポレオンがオーストリア制圧の際に通ったという森にたどりつきました。

ワイルドガーリックはその名のごとく、にんにくのような香りがする植物で、まだやわらかい葉をスープやジェノベーゼのようなソースにしていただきます。
森の奥で一面に繁茂するワイルドガーリックを目にした途端、疲れも一気に吹き飛び、夕食の材料を自ら収穫できることに興奮を覚えました。

日が暮れる前に持ち帰り、飴色に炒めたタマネギにカリフラワーとマッシュルーム、さらにワイルドガーリックを加えてポタージュスープにしてみました。
吸い口には、ノンフライのココナツチップスを少々とオリーブオイルを数滴。
簡単ですが、なかなかのものでした。

Naples

At Pelican bay of Naples in Florida

At Pelican bay of Naples in Florida

ただ今アメリカはフロリダ州のネイプルズにおります。

リタイアした富裕層が多く暮らすこの街は、低層のお屋敷が建ち並び、きれいに整備されているのでずが、どこか人工的で、植栽の緑も、空の青さも、太陽の光を反射する海のきらめきすらも作り物に見える瞬間があります。

その一方で、果てしなく続く海岸線を歩くなら、ペリカンが群れをなして海中の魚をついばむ姿や、名も知らぬ美しき鳥が人間を恐れることなく、静かにたたずむ場面に出逢うことができるのです。
ウミガメが悠然と歩む姿を眺めるなら、忙しない日々に自らを急き立てて、必要以上に忙しく感じていたことに気付かされ、もっと人生を楽しんでも良いのだと教えられました。
さらには、野生のイルカが泳ぐ姿を生まれて初めて目撃しました。海岸からわずか30メートルほどの浅瀬を何頭ものイルカが現れては消えることの繰り返しです。

これまでは、日に焼けることを恐れてビーチを楽しむことなどありませんでしたが、TV&MOVIEのミネラルUVコントロールベースを全身に塗りたくり、何度も重ねづけをしつつ、朝夕それぞれ1時間30分の散歩を楽しんでいます。

さらには生まれて初めてTaco Bellにも足を運びました。
水辺のイタリアンやシーフードレストランなど、様々試みましたが、アメリカでは食に期待をすると落胆するばかりなので、いっそのこと、彼らが得意とするジャンクフードの方が幾分良いのではないかと思い、ホテルのレンタルサイクルにまたがり、昼食を獲得すべくペダルを必死で漕ぐのです。
フランチャイズ店舗の無味乾燥な内装を眺めながらタコスを食べるなんて残念なことはいたしません。
隣接する駐車場の敷地内にある、アメリカらしきプラスチックのアヒルが浮かぶ人工池のほとりに腰掛け、こちらは本物の物欲しそうな鴨の群れを尻目に、身体に悪そうな悪魔のソースと称するチリソースをかけてクリスピーなクランチタコス2つと、やわらかいトルティーヤタコス2つを平らげました。
残念ながらサイドディッシュで頼んだワカモレについては減点の対象となりましたが、滞在しているホテルのレストランのタコスより、ジャンクなTaco Bellの方が美味しいとは、どうしたことでしょう。
ついに3日連続で、ランチタイムを人工池のほとりで過ごすことに相成りました。
そして、平素は自らに禁じているとうもろこしから作られたタコスを解禁しましたが、食後に再び自転車のペダルを漕ぐことで、免罪符としたのでした。

宇宙の創生の物語

Amazing weather in Salzburg

Amazing weather in Salzburg

『シン・レッド・ライン』やカンヌ国際映画祭でのパルム・ドール受賞作『ツリー・オブ・ライフ』などでその名を馳せるテレンス・マリック監督の最新作『ボヤージュ・オブ・タイム』にて日本語版の語りを担当させていただくことになりました。

12人もの科学者たちの監修に基づき、徹底したエビデンスを携えて撮影されたこの作品は、私たちが生きている壮大なる宇宙のはじまりの物語です。
思わずため息が漏れるほどの圧倒的な映像と、わずかな語りのみで描かれる約1時間30分の作品は、輝かしい映画スターとも、真似したくなるようなファッションとも無縁ですが、忙しい日々の中で封印してしまったであろう心の扉をそっと開いてくれます。

ケイト・ブランシェットさんの語る英語版を観た際には、時に宇宙をたゆたい、また時に懐深き大地に抱かれ、あるいは深海の静けさに身を委ねるかのようでした。
拙い言葉で表現することは大変もどかしいのですが、魂を優しくマッサージされているような感覚とでも申しましょうか。
生まれてから誰もが必ず抱く「人はなぜ生まれて来たのだろうか?なぜこの宇宙は存在しているのだろうか?」といった疑問の答えに気付かせてくれる、そんな作品です。

先日行われた録音の際には、立ち会ってくださったプロデューサーのソフォクレス・タシオリスさんが、飽きるほど観たであろう映像を前に、涙ぐんでいらっしゃいました。
実は、私も物語の佳境の場面で自ら語りながら、その映像の美しさとこの作品の慈愛に満ちたメッセージに心動かされ、はからずも声が震えてしまいました。

テロ、戦争、貧困、饑餓、災害、疾病と、様々な煩いが絶えず私たち人間を苦しめますが、この作品を観ていると、そうしたことすら、自然の営みの一部であり、すべては移ろいゆくものなのだと観念させられるのです。
世の無常を嘆いても仕方がないのだと、抗いようのないものに降伏宣言をするかのようなこの作品は、決して絶望を描いているのではなく、あたたかい希望に包まれています。

時間が許すなら、毎日でも繰り返し映画館に通いたいと思えたほどの美しい作品です。
ぜひ劇場の暗がりのなかで、何も考えず、ゆっくりご覧いただけましたら嬉しいです。

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