DIARY
伊豆高原

Visiting Taizo Kuroda’s studio
先週の金曜日で「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」の放送が全て終了いたしました。
最後までご覧下さった皆様のあたたかいお気持ちがなんとありがたかったことでしょう。
心より感謝いたしております。
昨日のことになりますが、眼下に海を望む伊豆高原に、究極の白い器をつくり続けていらした黒田泰蔵さんのアトリエ兼ご自宅を訪ねてみました。
いつの時代のものなのか、古い日本建築の礎石を解体業者から譲り受け、黒田泰蔵さん自らユンボにて積み上げたという石造りの門をくぐり抜けると、青々と茂る芝生に、自然のまま残された木々、そして、睡蓮鉢として据えられた古い石や、インドの調理用の釜が点在し、繊細かつおおらかで、懐かしいのにどこか新しいお庭の先に群青色の海が果てしなく広がっています。
長年暮らしていらしたご自宅のすぐ近くに新たに建てられたばかりの白い応接間は、タイやベトナム、インドネシアなどからの古い木製の建て具や家具によって温もりが加えられ、泰蔵さんご自身の器にさり気なく生けられた泰山木の花が優しく迎え入れてくれました。
ものづくりに生涯を捧げていらした方にとって、ご自宅の普請や作庭なども造形と同様で、空間をデザインすることは、そこに配する器との兼ね合いを図る意味でも重要かつ没頭できる楽しみのようです。
食卓にはご自作の白い器たちが並び、ホワイトアスパラガスのサラダに始まって、伊豆牛をさっとグリルしたもの、揚げたてのきびなごのフリットにブルーチーズなどの美味しさが、シルヴィー・ギエムやエリック・クラプトンをはじめとする世界中の人々から注目される作家さんとの初対面の緊張を解いてくれました。
1960年代に、その当時では珍しくパリやカナダのモントリオールに滞在し、焼きものに携わっていらしたからか、共に食卓を囲んだ奥様やお嬢様、私の友人に率先してお料理を取り分け、ワインを注いでくださる黒田泰蔵さんにそこはかとない色気を感じました。
また、パティシエであるお嬢さまが糖質を控えている私を気遣って作って下さったチャイのプリンの何と美味しかったこと。
スパイスの効いたそれは、羅漢果の甘みと共に、幸せを運んできてくれました。
今でこそ、黒田泰蔵さんの作品を模したであろう工業製品もたくさん出回り、コレクターはもちろんのこと、焼きものを志す方々にとって憧れの存在であることは間違いないのですが、45歳で白磁のみに絞ったものづくりを始めるまでは、様々な技法を試行錯誤なさったとおっしゃいます。
何しろ黒田泰蔵さんにとって焼きもののルーツである民芸の濱田庄司さんや島岡達三さんからは「白磁は流行らないぞ、白磁で食っていくのは大変だぞ、苦労するぞ」と散々忠告されたというのです。
それでも、どこかで本当に好きな物をつくりたいというお気持ちがくすぶっっており、40代にして一大決心をしたのだそうで、究極の白にたどり着いた際には「君はもう白以外につくらないだろう」とあれほど反対していらした島岡達三さんに言わしめたのです。
普通に会社勤めをなさっていたら、45歳で安定志向に傾くであろうところ、黒田泰蔵さんは究極の白を追求するという挑戦に打って出られたのですね。
そして、その挑戦は大病を患われた今も変わらず続いているのでしょう。
45歳まであと5年、私も挑戦できる人間でありたいものです。