DIARY
なにもない空間
90歳にして今もなお現役で活躍する伝説の演出家ピーター・ブルックの最新作
「Battle Field」を観るため、半年ぶりにパリを訪れました。
20代最後の年にインドを旅した折、真っ当なガイドからもインチキなガイドからも度々聞かされたインド二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」の物語を題材に、舞台装置も大仰な装束も、メロディアスな音楽もない空間で、人間の偽りようのない真実を描いた作品です。
パリ北駅の近く、初めて足を運んだThéâtre Des Bouffes Du Nordは、廃墟と化していた19世紀の劇場をピーター・ブルックが自ら買い取り、わずかなリノベーションを施して再生させたとのこと、趣き豊かな空間は、ピーター・ブルック自身が齢を重ねてもなおその輝きを失わず、むしろ明晰で研ぎ澄まされた感性を放っている姿と重なって見えました。
舞台上にあるのはご覧の通り、経年変化で朽ちた様も美しいベンガラ色の壁と、数本の棒、黒い箱が2つに、日本人の土取利行さんが弾じるジャンベと、土取さんのための椅子のみです。
1985年に9時間の大作として上演された「マハーバーラタ」を極限までそぎ落とし、1時間30分にまとめた本作で、人間の滑稽さ、欲深さ、生きることの美しさ、そして愛という皮を被った執着を手放すべきことの大切さと、普遍的で誰にでも心当たりのあるテーマを、シンプルに、そして愉快に語りかけてくれました。
何よりも、主人公の王子にクリシュナが向けた「お前は善の中に悪を見、悪の中に善を見る。いずれにしろ、平和と戦争のどちらかを選ぶことはできないだろう、戦争か別の戦争だ」という言葉が、この世のありのままを語っており、人間は物語が書かれた千数百年前からまるで変わっていないのだと、諦めにも似た気持ちになりました。
なにもない空間で、出演者が楽に立ち、自然に言葉を発するようになるまで、果たしてどのような稽古がなされたのでしょうか。観客は余白の中に戦場を目撃し、川や森を見ます。かき鳴らされるジャンベの音に時の流れを司られ、更なる旅に出るのです。
それはきっと、ピーター・ブルックという演出家が、演技者の可能性を信じ、そして観客の想像力を信じているからなのでしょう。
ご子息のサイモン・ブルックが稽古場に潜入し、役者たちの肉体に魂が注ぎ込まれる過程を収めたドキュメンタリーフィルム「世界一受けたいお稽古」で、心の動きに身体がどのように反応するのか、徹底したリアリズムを追求しつつも、全ての役者にあたたかい眼差しを向けていた御大は、老いも若きも待ち望んでいた「Battle Field」のプレミアをインドの覚者さながらに静かに見守っておいででした。
東京公演は2015年11月25日より新国立劇場にて。