DIARY
忙中有閑

Photo of Irises Growing in the Nezu Museum Garden
このところ新たな作品の撮影中ですが、昨日は幸運にも撮影が早く終わったので、根津美術館にて毎年恒例の「燕子花図屏風」を鑑賞し、尾形光琳が描いたその美しき画の余韻を味わいつつ、都会のオアシスとも言える丹精されたお庭にて、青々としたかきつばたを眺めて参りました。
トレーニングに撮影、そのほかにもさまざま詰め込み過ぎまして、少々疲労が蓄積しておりましたが、大好きな作品に触れ、木漏れ日の中を歩くと、再び力がみなぎるのを覚えました。
更には、国立近代美術館にてイヤホンガイドも担当させていただいている「茶碗の中の宇宙-樂家一子相伝の芸術−」を鑑賞して参りました。
初代の長次郎からはじまり、三代道入、尾形光琳や乾山の従兄弟でもあった五代宗入などを経て、当代の吉左衛門さん、そして十六代篤人(あつんど)さんにいたるまで、樂家の系譜を辿ることのできるこの展示では、各人が伝統と革新の狭間でもがき、苦しみ、自らの道を見出そうとして来たであろうことが見受けられます。
とりわけ当代の樂吉左衛門さんのアバンギャルドな作品からは、450年以上もの歴史を背負って生まれてしまったことに対する苦悩や、反骨精神があふれており、西洋美術への深い理解とともに、日本の伝統に新たな道を示すべく、闘っていらしたように感じられました。。
初期の作品では、色やテクスチャーで果敢に挑戦しておいでで、ジャズのような即興性や、ロックのような猛々しさを感じる作品も多々ありました。
フランス滞在中の作品群は、土や釉薬などが著しく異なり、樂家の伝統に縛られない自由でのびのびとした作陶であったことが色や形状に現れていました。
そして、最も心動かされたお茶碗が、荒波のなかで、もがいてもがいてようやく辿り着いたような、静かな世界が現れた最後のふたつのお茶碗でした。
全ての抵抗をやめ、ただあるがままに無心で作られたようなお茶碗を拝見した際に、450年分の壮大なスケールの映画やオペラのエピローグのような、感慨がありました。
魂をこめて物作りをなさっている方の作品は、もの言わずして饒舌に語るのですね。
展覧会は5月21にまで開催中です。
お時間が許す折に、ぜひおでかけくださいませ。