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DIARY

弔辞

Hansahäuser,shot in Lübeck oldtown

映画「総理の夫」の9月23日の公開に向けて、私共の選挙運動も活発になって参りました。
相馬凛子率いる直進党に、皆様の清き一票を頂戴できますと幸いです。

本日出演させていただきました、「ボクらの時代」にて草笛光子さんがおっしゃっていた「弔辞」とは、かつて雑誌「悲劇喜劇」の草笛光子さん特集にて、寄稿させていただいたものです。
以前草笛さんの御著書「いつも私で生きていく」のあとがきを寄稿させていただいた折に「あなた、あれは私の弔辞ね」と嬉しそうにおっしゃっていたものですから、つい調子にのって、悪ふざけで「悲劇喜劇」に「生前弔辞」を寄せさせていただいたところ、大変お喜びになったのでした。

以下にその全文を掲載させていただきますゆえ、ステイホームの暇つぶしにご一読いただけましたら幸いです。

ついに恐れていたこの日の到来となりました。なんと言葉を繋いでよいのやら、今の私には検討もつかず、悲しみに暮れる一方で心なしか安堵感を覚えております。

成瀬巳喜男さんや市川崑さんなど、そうそうたる映画監督に愛され、またミュージカルの世界では、「シカゴ」や「ラ・マンチャの男」などを日本で最初に演じた表現者草笛光子さん、戦中、戦後を生き、令和の時代に至るまで、人生の荒波をくぐり抜けてきた栗田光子さん、私にとっては演劇界の母である愉快で、わがままで美しい女性が、惜しまれながらもついに永遠の眠りに就かれたのですね。

決して女優になりたくてなった訳ではないと、生前おっしゃっていましたが、私たちの記憶に刻まれた品格とユーモアを携えた女優になるずっと以前の、まだ恥じらいをたたえた少女だったころ、たまたま受けたSKDのオーディションに合格したことが、女優草笛光子の始まりであったとのことでしたね。
人様を押しのけてまで前へ出るような女優気質ではなかった当時の「栗ちゃん」は、芸名を考えなさいと所属していた松竹の方々から言われても、大スター然とした大仰な芸名をご自身に付けることをためらい、期限を過ぎてもなかなか名前の案を提出なさらなかったそうですね。

見かねた担当者が「それなら草笛なんてどう?」と気遣ってくださった際に、ようやくご自身にしっくりと来る芸名に出逢えたようで、「じゃあ、それでいいです」と控えめな態度でお答えなさったとか。
「皆、私が今にも死にそうだからって、お情けで賞をくれるのよ」などとうそぶいてみせるほど、もはや数え切れないだけの賞をいただくような女優になろうとは、そのころ誰が想像できたでしょうか。
とは言えその後のご活躍のほどは、同時代を生きた方々はもちろんご存知でしょうし、日本映画の黄金期を高峰秀子さんや山田五十鈴さん、田中絹代さんといった大スターたちと共に生きたそのお姿は、時を経て海外でも度々上映され、今やアマゾンプライムビデオでも鑑賞することができるほどです。

草笛光子さんのことを厚かましくも「お母さん」とお呼びし、ご自宅にてお手伝いさんの作られるおいしい料理をいただくようになったのは、2006年の毎日映画コンクールの授賞式での出逢いから数年を経て、2013年にご一緒させていただいたニール・サイモンの劇作「ロスト・イン・ヨンカーズ」がきっかけでしたね。
三谷幸喜さんの演出のもと、ニューヨーク州のはずれのヨンカーズで暮らすドイツからの移民であるユダヤ人一家の母を草笛さんが、わずかに知的障害を持つ娘を私が演じ、草笛さんは持ち前の華やかさと朗らかさ、闊達さを全て消し去って、苦虫をかみつぶしたような顔をして人生の辛苦を背負って生きる女性を表現されましたね。いえ、むしろ表現する手段をすべて捨て去り、表現をしないことがあの役を最大限に生きる唯一の道であったことから、女優草笛光子にとって、大変苦しく、困難な作品であったことを、母の愛を乞う娘を演じる傍らでひしひしと感じておりました。

同時期に大河ドラマ「八重の桜」にてナレーションも担当していらっしゃったものですから、
毎週水曜日には渋谷のNHKにて収録があり、
渋谷のパルコ劇場とNHKと、あの時期は毎日再開発前の渋谷へお出かけになっていたことになります。
2019年にアメリカの上流階級の女性と、黒人の運転手との明確な階級差の中で育まれた密かな友情を描いた舞台作品「ドライビング・ミス・デイジー」にて、ユダヤ人女性の二十年間を演じられた折には、85歳にして演出家の森新太郎さんにずいぶん絞られ、新人女優並に厳しいご指導を賜ったようですが、草笛さんはそのスパルタ演出を「あんちくしょう!」と言いながらも「今まで私がどれだけぬるま湯に浸かっていたのかよくわかったわ」などと前向きに捉えて、老人ホームでのシーンをまるで能楽「卒塔婆小町」にてシテが橋がかりを行く運びのように、静寂をまとった緩慢な歩みで演じるという新境地を開かれたようで、見事に毎日芸術賞を受賞されましたね。

本日ご参列の皆様は草笛さんのあの美しい白髪に張りのある艶やかなお肌、そして客席にしっかり届くお声はどのように作られていたのかご興味がおありのようですから、少しお話しさせていただきますが、お怒りにならないでくださいね。

年甲斐もなく2020年の東京オリンピックにて聖火ランナーを務めることを目標としていらした草笛さんは、口は悪いが愛情のあるパーソナルトレーナー伊藤こうたろうさんのご指導のもと、舞台で踊り、走るに耐えうる身体をつくるべく、たゆまぬ努力をされておいででしたね。開脚にしても、180℃楽々と脚を開いただけでは足りず、お腹をぺたりと床につけて寛いだりなさることが常でした。

草笛さんがいつも合間に召し上がっていたのは、横浜の中華街からお取り寄せなさるわずかにお塩の利いたピーナッツとシャインマスカットで、お腹を満たして呆けてしまい、台詞が飛んでしまうことを恐れる多くの役者と同じように、本番前にはさほどたくさん召し上がりませんでしたね。
ところが、ひとたび芝居がはねて、自由の身になったらなんとよく召し上がること。三谷幸喜さん、小林隆さん、長野里美さん、松岡昌宏さん、浅利陽介さん、入江甚義さんとご一緒に焼き肉をご馳走になった際には「こんなに厚いお肉いただけるかしら」と厚みを指で示してご注文なさり、分厚いヒレ肉を何枚もペロリと平らげてしまわれましたものね。
「ロスト・イン・ヨンカーズ」でのそうしたご縁をきっかけに、いつしかプライベートでもご一緒させていただくようになり、2020年の元日には、私が現在暮らしておりますオーストリアはウィーンにお越し下さり、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートをご一緒に鑑賞する機会にも恵まれましたね。と申しますのも、2年ほど以前に東京のサントリーホールにて行われたウィーンフィルのコンサートへ草笛さんをご案内したところ、大変感激なさり、日本人とスエーデン人の血を引くヴァイオリニストの和樹ヘーデンブルクさんに思わず客席から手を振っていらしたほどで、あの時味を占めたのか、SKDに入団したころの恥じらいをたたえた少女はどこへやら、齡を重ねて少々面の皮が厚くなった草笛さんは「あなたウィーンへはいつ連れてくれるの?あの黄金の音楽の殿堂で生演奏を聴くのが夢なのよ。早くしないと私、死んじゃうわよ」と、毎日お肉をペロリと召し上がっているにもかかわらず、そのような時だけ、まるで今にも息絶えそうな病人の振りをして、人生最後の望みであるかのようにウィーン行きをせがんだものでした。

もちろんウィーン行きの航空券やホテルはご自身で賄われるものの、私に「お供をしろ」という脅迫でして、草笛さんのわがままをすべて叶えて差し上げる自信のなかった私が考えあぐねていたところ、NHKから生中継に出演のご依頼をいただいたものですから何と幸運なことでしょう。

生中継に先駆けて、草笛さんはお一人でウィーンへお出かけになり、私が東京にて仕事をしている間に、生誕250周年を迎えたベートーベンゆかりのカフェ「フラウエンフーバー」や、国立歌劇場、楽友協会などをお訊ねになり、目を見張るようなファッションセンスにて、オーストリア・ハンガリー帝国の面影残るウィーンにて、ため息の漏れそうな美しい映像を撮影していらっしゃいましたね。
そして、コロナウィルスが私たち日本人にとってまだ対岸の火事だった1月1日、新たな年を迎えたその日に、黒いドレスを纏った草笛さんとご一緒に、あの滑らかなストリングスのトレモロで始まるヨハン・シュトラウスの「青き美しきドナウ」をはじめとするワルツやポルカを堪能し、最後の「ラデツキー行進曲」では客席に向けてタクトを振る指揮者のアンドリス・ネルソンさんに導かれて満場参加の盛大な手拍子に加わったのでした。

草笛さんはNHKのアナウンサー森田さんから感想を尋ねられた際に、「何度も恋をしたみたい」と応じられましたね。
はるか遠い過去に芥川龍之介さんのご子息でもあった作曲家にして指揮者の芥川也寸志さんと短いながら婚姻関係にあったご経験もある草笛さんにとって、オーケストラの生演奏はご自身の人生を縁取る一部であり、黄金に輝くあの楽友協会にて、ウィーンフィルのシルクスカーフのように柔らかな演奏を耳にして、若かりし頃の追憶に浸られたであろうことは想像に難くありません。

草笛さんのご自宅にてお食事にあずかることも度々ありましたね。いつぞやは、トレーナーさんさんや付き人の元田さん、そして長年寄り添っていらしたマネージャーの斉藤さんとご一緒にお食事をいただいた際に、こうたろうさんが実践していらっしゃるという4スタンス理論のお話や、コンディショニングのお話に花が咲き、「病院でスパゲッティーみたいな管につながれたままグズグズ生きながらえるのは草笛さんらしくないから、あんまり長生きし過ぎずにコロッとすぐに死ねるようにトレーンニングしているから安心して」とのこと、「ほらね、この人私を殺そうとしているのよ」と応戦する草笛さんに、私も調子にのって「そうは言ってもね、どうやらコロナウィルスもお母さんには恐れをなして近づかないようですし、例え人類が滅亡しても、ゴキブリとお母さんだけは生き残っちゃうかもしれませんから、ご自分の面倒はご自分で看られるようにしっかりトレーニングしなくちゃいけませんね」と参戦したりもしました。

そのような訳で、翌日には私のお世話になっている理学療法士の先生のところへご案内したのですが、始めての施術に「あなた今私の腕を折ろうとした?」などと被害妄想を炸裂させた挙げ句、帰り際に、「あなたうちでご飯食べて帰る?」とお誘いをいただき、予定外の来客に慌てる事なくお料理をしてくださったお手伝いさん遠藤さんには今でも大変感謝いたしております。

あの晩の献立は、いんげんのゴマ和えにほうれん草のおひたし、納豆、タマネギとジャガイモのお味噌汁、そして揚げたてのヒレカツにキャペツの千切りでしたね。
遠藤さんのお料理があまりにもおいしく、勧められるがままにゴマ和えやほうれん草のお代わりをさせていただいたところ、サクサクのヒレカツも「よかったらどうぞ」と差し出してくださいました。

お昼を食べそびれていたために、おかわりのヒレカツを楽しみにしていたのですが、私が大好きなキャベツの千切りをおいしくいただいている間に、草笛さんが「あら、まだあるんだったらいただくわ」とおっしゃって、3切れあったうち、2切れも召し上がりましたね。
もちろんあと1切れは私が遠慮なくいただきましたが、まさか草笛さんが揚げ物をおかわりなさるとは思わず、その健啖ぶりに、やはり地球上の生物がすべて滅んでも、草笛光子という怪物だけは生き残るのではないかと密かに確信したものですから、こんなに早くお別れの日が訪れようとは想像だにしませんでした。

きっと愛犬のマロちゃんが亡くなって以来、私たちがまさに今抱いているような喪失感をずっと抱いていらしたのでしょう。それゆえに、「この世に未練なんてないわよ。私はあの世でマロと好きなことを存分にするんだから」との声が聞こえるような気もいたします。

私たち日本人が美徳とするような過剰な気遣いを望まなかった草笛さんは生前よくおっしゃっていましたね。「山田五十鈴先生がね、『楽屋花を役者同士で贈り合うのは止めよう』っておっしゃって、『お花が楽屋を行ったり来たりしているだけでもったいないし、その度にお礼状を書くのも億劫だから、お互いに控えましょう』ってことになって、一時皆で止めたのよ。それなのにね、また誰かが始めちゃって、いただいたら返さない訳にはいかないから、結局また楽屋をお花が行ったり来たりしているの。日本はもうこれから経済が立ちゆかなくなるでしょうし、コロナで多くの方々が苦しんでいるし、皆我慢しているんだから、私たちも、お花代のために仕事するようじゃ、本末転倒なのよね。お花屋さんには申し訳ないけれど、私たちだって大変なのよ。いっそのこと、もう皆で止めちゃえばいいのよね」と。

本日は草笛さんのご遺志に背いて美しいお花で祭壇を飾らせていただきましたが、毎月数万円、お付き合い多い方ですと数十万円と役者仲間へのお花代に費やす古い慣習を最期まで憂慮していらっしゃいましたね。
現在私が暮らしておりますヨーロッパでは指揮者やオペラ歌手、ソリストにお花を贈るのは劇場やコンサートホールの仕事で、舞台に立つ役者に至っては、劇場がお花を用意することもなく、よほどの事情がない限りアーティストがアーティストにお花を贈ることは皆無だそうです。
以前、夫が所属するウィーンフィルハーモニー管弦楽団の公演にお花をお贈りしようと手配したのですが、「そんなことをしたら、悪目立ちするからやめてくれ」と懇願され、せっかく予約したお花をキャンセルせざるを得なかったほどです。

その話をお耳に入れたところ、「そうねぇ、私たち日本人は実力以外のところで、何かね、情のつながりでお仕事をいただいたり、どれだけお花をいただけるかで自分の価値を示そうとしたりする嫌いがあるけれど、ヨーロッパはそうなのね。あっさりしていていいわね」と羨ましがっていらっしゃいましたね。
その一方で、「私たちも舞台から降りたらただの人だもの、お花で楽屋を飾って、さぁ出て行くぞっていうね、景気づけが必要なことも確かにあるわよね」と、役者の心理を代弁していらっしゃいましたね。
「山田五十鈴先生がおっしゃても変わらなかった古い慣例に私がものを申すのもねぇ……。
いっそのこと、このコロナで劇場がお花を禁止にしているんだったら、今後も劇場の方でお花は一切禁止って決めて下さったらありがたいわね」と今際の際におっしゃっていましたものね、本日ご参列の劇場関係者の皆様にも草笛さんに代わってお願いしてみますね。

わずか1年の間にこの世界は大きく変容し、世界中でアーティストたちが職を失い、路頭に迷っています。芸術振興のために支援をしようなどというゆとりは、残念ながらどこにも見当たらず、私たち日本人も明日をも知れぬ不安な日々を過ごしております。
この機会に、現在一時的に禁止なさっている楽屋花、ロビー花の習慣を今後もすべて禁止としていただけたら、草笛さんもきっとあの世から満面の笑みで見守ってくださいますよね。
そして、どなたかがその禁を破ったりしようものなら「こんちくしょう!何度言ったらわかるのかしら?無用な見栄なんて張らなくていいのよ。相手に必要以上の負担をかける楽屋花なんておやめなさいよ!」とあの世から苦言を呈されることでしょう。

「私はもうババァだから」と自嘲気味におっしゃる度に「ただのババァじゃなくて、クソババァですよね?」と葉っぱをかけ、葬式無用戒名不要を旨とする私でも「お母さんが弔辞を読んで下さるなら、信条を曲げてお葬式をしてもいいかなと思っていますので、宜しくお願いしますね」とお伝えしたほど、長生きなさるものだとばかり思っていたのですが、どうやらこうたろうさんの、「あんまり長生きせすに、コロッと逝けるように」という作戦が奏功したようで、千穐楽を迎えてカーテンコールをきっちり勤め上げた上で、潔く人生の幕を下ろされましたね。
残念ながらもうご一緒に厚切りのヒレ肉をいただくことも、山田五十鈴さんの人知れぬ秘密をこっそり伺うことも、あの素晴らしいお芝居を生で拝見することも、手を手を取り合って歩くことも、悪態に抱腹絶倒することも叶いません。

晩年には「浅草ゆうもあ大賞」を受賞なさった草笛さんのこと、私たちが辛気臭い顔で悲嘆に暮れることはお望みではないかと存じます。
草笛さんのご遺志に沿って本日は皆様からのお香典はいただかない代わりに、公私を問わず、草笛さんの愉快なエピソードを芳名帳にお一人様一頁ずつご記入いただだいたようです。皆様のお言葉をいずれ書籍の形に残し、原本は草笛さんご自身があの世へ携えて行けるように、棺の中にお納めなさるそうですから、大好きな新聞と一緒に少しずつ読んでみてくださいね。

お母さん、たくさんの愛と感動を与えていただき、ありがとうございました。棺を開けてお顔を覗かせるくらいの筋力はおありでしょうけれど、化けて出るのもお疲れになりますから、どうぞごゆっくりお休みくださいね。

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GLOW 2020年1月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

GLOW 2020年1月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

GLOW 2020年1月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

Photographer:浅井佳代子

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ミセス 2021年4月号(文化出版局) Photographer:浅井佳代子

Precious 2021年9月号(小学館) Photographer:伊藤彰紀

ESSE 2021年10月号(扶桑社) Photographer:浅井佳代子

ESSE 2021年10月号(扶桑社) Photographer:浅井佳代子