最強オーガニックUV

TV&MOVIE Bright UV Essence 50

4月13日より放送の新たなドラマ「あなたには帰る家がある」の撮影中です。

山本文緒さん原作の本作は、二組の夫婦の「本音と秘密の物語」でして、私は娘の中学受験を見届け、職場復帰し、家事に仕事に奮闘する主婦、佐藤真由美を演じており、優しそうに見えて、ふらふらとあらぬ方向へ人生の寄り道をしてしまう夫の秀明を演じて下さるのは玉木宏さんです。
玉木さん演じる夫が務めるハウジングメーカーの顧客で、モラハラ夫の中学教師茄子田太郎をユースケ・サンタマリアさんが、茄子田の貞淑な妻で、真弓の夫秀明がついその魅力にからめ取られてしまう美しき茄子田綾子を木村多江さんが演じて下さっています。

既婚、未婚を問わず、恐らく全ての女性が抱くであろう男性への不満を辛辣かつコミカルに吐き出し、普段は人目をはばかって罵詈雑言を口にすることのできない女性の心を代弁させていただきます。
自分は何も家事を手伝わないにもかかわらず、妻や恋人への要求だけは高い男性は、まだまだたくさんいらっしゃるようにお見受けいたします。
あるいは、ゴミ出しをしたり、子供をお風呂に入れただけで、「俺は家事を手伝ってやっている」とご満悦の男性もいらっしゃることでしょう。
そんな男性のあれこれに、憤り、嘆息し、諦め、果ては没交渉となった女性たちの悲痛な心の叫びを盛り込んだリアルな物語であるのと同時に、ともすればドロドロの惨憺たる作品になりがちなテーマを痛快に笑い飛ばし、たくましく生き抜く女性の姿をお見せしたいと思っております。

とは言え、名刺に書かれた肩書き以外何もすがるものがない(あら失礼!)男性のために、少しだけ援護させていただくならば、彼らにも私たち女性に対するご不満は多々あるようでして、そうした男性の心のつぶやきもふんだんに盛り込まれています。

先日は、心地の良い快晴の朝のカフェにて新たな台本に読みふけっていたところ、あまりにも愉快だったため、衆目を忍ばず抱腹絶倒してしまい、隣席の見知らぬ方の失笑を買ったほどです。

舞台は鎌倉、湘南でして、趣のある街並みの中、容赦なく降り注ぐ日差しにも負けず、いえむしろ明るい日差しを堪能しつつ、玉木さん演じる夫と闘う毎日です。

ロケでの日差しに加えて、山歩きやロードバイクを楽しむこの頃では、日焼けによる肌へのダメージがやはり気になります。そこで、TV&MOVIEより、ブライトUVエッセンス50と称する、オーガニック史上最強SPF50の日焼け止めをプロデュースさせていただきました。

TV&MOVIEの化粧品ではおなじみの馬油、馬プラセンタ、ストロングマヌカハニー、ビデンスピローサなどの美容液成分を中心に、ベビーピンクのベースカラーに加えてパールを配合しているため、肌色をワントーン明るくきれいに見せる効果がありまして、よくのびるため、米粒大で顔全体をカバーできることが自慢です。
香りはフランスの調香師さんが天然の原料のみで抽出してくださった希少なネロリでして、忙しない日常に心の安らぎを与えてくれます。

これより、このブライトUVエッセンス50を頼りに、気兼ねなく屋外を闊歩し、ためらうことなく夫への不満をぶちまける日々になりそうです。

TBSの金曜ドラマ「あなたには帰る家がある」は4月13日金曜日22:00より、初回は15分拡大にてお届けいたしますゆえ、どうぞご覧くださいますようお願い申し上げます。

わからなくてもいい

Dahn Vo Exhibition at Solomon R. Guggenheim Museum in New York

わずか数日ながらニューヨークを訪れました。

恒例のグッゲンハイム美術館では、ヤン・ヴォーの「Take My Breath Away」と称する展覧会を鑑賞して参りました。私と同い年のアーティストは、ヴェトナムにて生まれたものの、共産政権から逃れるために幼少の頃に父親の手製による木船に乗って文字通りのボートピープルとなり、運良く貨物船に救出されデンマークに亡命したという数奇な運命を辿ってきました。

自身の生まれた国の戦争や植民地時代の歴史にまつわる既製品、例えば錆びた調理器具や農耕道具、写真、あるいは父親が祖国を脱出する際に持って逃げたというロレックスの時計やダンヒルのライター、または万年筆のペン先、ベトナム戦争の和平交渉が行われたパリのホテルに飾られていたという豪華なクリスタルのシャンデリア、ヘンリー・キッシンジャーの手紙などといった品々を、ほぼ手を加えずにそのまま展示しています。
もちろん、そこにはそれらを選択し、フランク・ロイド・ライトの設計によるらせん状の回廊という特異な空間にいかに展示するかというヤン・ヴォー自身の意志が介在し、彼のリアルでパーソナルな物語が存在するものの、それらをデザインし、物たらしめたのは彼ではなく、かつてトイレの便座を展示して論争を巻き起こしたマルセル・デュシャンのレディ・メイドや、ガラクタや未完成の品、ただの板書などを展示することで、議論のきっかけを提示したヨーゼフ・ボイスを彷彿とさせるコンセプチュアルアートで、それらを鑑賞した人々の賛否は激しく分かれるものと思われます。

価値ある大理石のギリシャ彫刻や木製のキリストの磔刑像に聖母マリア像などはヤン・ヴォーによってためらうことなく切断され、それらを改めて繋ぎ合わせることで、新たな彫像が生まれるのです。そうした作品を美しいと感じるか、醜悪と感じるかは、鑑賞者の目と感覚、倫理観に委ねられていますが、個人的にはとても大胆かつ、彼自身の葛藤や矛盾した感情の表れのようなこの作品が最も好きでした。

彼を美術界で人気アーティストたらしめたのが、「We The People」と題する展覧会で、ニューヨークを象徴する自由の女神の実寸大を銅の断片で制作し、今回の展示でもそれらのいくつかが無造作に床に点在していました。
世界中で難民、移民問題が噴出する中、難民であった彼が、かつてヨーロッパからアメリカ大陸に渡ってきた人々にとっての自由の象徴であった世界で最もポピュラーな彫像を再構築して披露したことは、意味のあることなのでしょう。

ヤン・ヴォーの作品たちは、人に違和感を抱かせ、時に人を不快にさせ、不安にさえさせられます。
きっとそれは、私たちが信じてきた物の価値を根底から揺るがすような力強さを持っているからなのでしょう。
世界中のアーティストが羨むグッゲンハイムでの個展においても自叙的なガラクタを堂々と展示してみせることで、今の貨幣制度や消費社会、メディアの画一的な情報に踊らされる私たちを挑発し、嘲笑っているかのようにも思えます。
同時に、他人の手紙や既製品を掲示し、他人の作品に手を加えて自らの作品とすることで、作品は誰に帰属するのかという論争の種を自らまき散らしています。

私はまだ、彼の作品を真に理解するには至っていません。
しかし、こうした作品は、わかったふりをする必要もなければ、無理して好きになる必要もないのだと思っています。
鑑賞者が各々異なる感情を抱くことが、そもそも作者の意図であり、私たち鑑賞者の異なる視点が交差して初めて作品が完成するのでしょう。
今回のグッゲンハイムは、彼の作品には少々手狭だったようにも思えました。ただの白い箱の中で少しずつ鑑賞したら、また異なる印象を得るのかもしれませんね。

夜にはカーネギーホールにてグスターヴォ・ドゥダメル指揮によるウィーンフィルの演奏に耳を傾け、大好きなグスタフ・マーラーの交響曲第10番の第一楽章アダージオの哀しくも心地よい不協和音の洪水の中で浮遊しておりました。
詳しくは小説幻冬の連載「文はやりたし」にて。

Snow museum

Snow scape in Salzburg

舞台で酷使した身体を休め、羽を伸ばすため、しばしザルツブルクにおりました。

羽生結弦さんの優美なパフォーマンスによる金メダルで沸き立つこの頃ですが、ザルツブルクもエクストリームスポーツのメッカとして、プロフェッショナル、アマチュアを問わず、多くの人々がありとあらゆるウインタースポーツに興じています。

子供の頃から雪に親しんできたこちらの人々は、スキーやスケートはもちろんのこと、スキースケーティングなる、細めのスキーを履いて雪上をスケートのように滑るコースを楽しんだり、アイスクライミングで氷壁に食らいつくスリルを味わったり、富士山よりわずかに低い3300メートルほどの雪山を自らの足で登り、雪崩の危険を感じながらもスキーで滑り降りてくることを日常的に繰り返すことも少なくありません。従って、極普通のご家庭のお子さんがTPOに合わせててスキーを3種類くらい持っていたり、非常時の捜索用ビーコンや、雪崩用エアバッグを常備しているご家庭も珍しくはないようです。

高所恐怖症とスピード恐怖症を併せもつ私は、残念ながらスキーも、スケートも、スノーボードもできませんが、昨年より、かんじきのようなスノーシューを始めまして、この度も1週間の滞在中ほぼ毎日、裏山の誰も足を踏み入れていないパウダースノーの上をキュッキュッと音を立てつつ歩いておりました。
気温はマイナス2〜3℃で鼻先がツ〜ンと冷たくなり、顔は頬紅をさしたかのように紅くなるのですが、スノーシューを履いて10歩も歩けばすぐに体温が上がり、むしろ熱いほどになります。

なんと平穏な時間でしょう。しんと静まりかえった山の中では、自らの吐息と雪に沈む足音、そして風が頬をなでる音だけが聞こえ、時折木々に積もった雪が自身の重みに耐えきれず落下するゴソッという音が加わります。
長い台詞や確定申告のことなど全く忘れて、何も考えずにただ空と木々と雪だけを眺めて進む時間は歩きながら瞑想をしているかのようで、至福のひとときです。

野生の鹿の華奢な足跡は真っ白な雪原に刻まれ、枝葉の細部にまで積もった雪は、得も言われぬ美しい線を虚空に描きます。それらは、いかなる美術館に展示された作品も叶わない究極のアートなのです。

BVLGARI

Flagship store of BVLGARAI in Rome

昨夏のことですが、婦人画報の撮影にてローマを訪れ、BVLGARIの本店へ立ち寄らせていただきました。

彼のソフィア・ローレンやエリザベス・テイラーが愛したという色石を得意とするBVLGARIの贅沢なジュエリーを撮影のわずかの間でも身に着けたことは、千穐楽を迎えたばかりの『黒蜥蜴』を演じる上で、大変貴重かつ有益な体験でありました。

物語の中で黒蜥蜴が執心していた113カラットのダイアモンド「エジプトの星」にも匹敵するであろう大粒のエメラルドにダイアモンドをあしらったロングネックレスを早朝のスペイン広場にてまとう機会をいただきましたが、宝石商の岩瀬庄兵衛が発した「寶石には不安がつきものだ。不安が寶石を美しくする」という台詞のごとく、3人もの警備員さんが常に目を光らせて、まばゆいばかりに輝くそのジュエリーを見守っていらっしゃいました。
分不相応にも貴重なジュエリーを身に着けさせていただき、その美しさに恐れおののきましたが、その一方で、ページのテーマは「Joy」でしたので、品行方正な態度でジュエリーを前にひれ伏すようではなりません。つかの間ではありますが、身体にぴったりと沿うようにデザインされたジュエリーを存分に楽しませていただきました。

かつてパリの古書店にて求めたジャンヌ・モローさんの写真集では、老齢の彼女がシワだらけの指に大粒のジュエリーを着用した表紙が印象的で、経験を積み、年輪のごときシワが刻まれてこそジュエリーの価値に相応しい人間になれるのだと思えたため、若かりし頃には、ジュエリーにさほどの興味を示すことはありませんでしたが、年齢を重ねるごとに、やはり美しい宝石は美しいのだと感じるようになりました。

三島由紀夫は、生きているもの、血の通ったものを信じることに恐れを抱く黒蜥蜴に「寶石は自分の輝きだけで充ち足りてゐる透きとほつた完全な小さな世界」と言わせました。
黒蜥蜴がエジプトの星を奪おうと試みたように、完全で隙の無い宝石のもつ底知れぬ魅力は、人の心を高揚させ、年齢と共に失われつつある肌や目の輝きを補ってくれるものなのでしょう。

ローマの本店には、映画の撮影の合間に訪れたエリザベス・テイラーが恋人との逢瀬に用いたという秘密の部屋もあり、街中が遺跡のような古い街並みも相まって、ロマンチックな気分に浸っておりました。

BVLGARIの美しいジュエリーは、現在発売中の婦人画報3月号にて掲載中です。ぜひご覧下さいませ。

夢のあとさき

The enjoyable emptiness

2月5日を持ちまして、『黒蜥蜴』の全公演が終了いたしました。
劇場へお越し下さったお客様、そしてお花やお菓子、お弁当など、様々なお心遣いをお贈りくださった皆様に、心より感謝いたしております。

実のところ、前作の『猟銃』にて、二度と舞台に立つことはないだろうと心に誓ったため、まさかこうして再び舞台の上で演じる日が来るなどとは思っていませんでした。
国内外を問わず、良質な作品を鑑賞する機会に恵まれ、そうした作品が自分自身の揺るがぬ基準となってしまった以上、どうしても舞台に携わる度に身体的にも精神的にも、時間的にも経済的にも払う犠牲が多くなり、もうこれ以上は無理だと思っていたのです。

しかし、梅田芸術劇場の村田裕子さんより、三島由紀夫の珠玉の作品をデヴィッド・ルヴォーさんが演出なさるという貴重な機会を与えていただき、つい心動かされてしまったが最後、再び美しい言葉と闘い、自由に羽ばたくためにもがく日々を選択してしまったのです。
しかし、その旅路は、思いのほかあたたかく、心地よく、まるでヒマラヤの高山に、シェルパの厚いサポートを受けつつ、酸素や温かい食事を提供され、至れり尽くせりの環境でいつの間にか登頂してしまったような感覚すら覚えました。
全てはデヴィッド・ルヴォーさんの円熟した演出のなせる技で、出演者の全てに等しく愛情を注ぎ、必要以上のプレッシャーを与えず、赤子を育てるかのように大切に繊細に導いてくださったからこそ、硬い結束が生まれ、皆が同じゴールに向かって心をひとつにすることができたのでしょう。

井上芳雄さんの、経験と努力に裏打ちされた安定感ある演技と緩急自在な声に支えられ、ザイルパートナーとして命を預けることができると思えるほど、私のミスと不安も全てカバーしていただけるという安心感が常にありました。一年中舞台に立っていらっしゃるにもかかわらず、そこに安住することなく、常に挑戦し続け、緊張感を失わない謙虚な姿勢には頭が下がる思いでした。

相楽樹さんの、年齢にそぐわぬ落ち着きと、色香は、無垢な早苗を演じていても、替え玉の早苗を演じていても良きに作用し、三島の言葉を演じるにはただの若いお嬢さんではできなかったことを、日毎に実感させられました。奴隷の雨宮とともに閉じ込められた檻の中のシーンで愛について語る声は秀逸で、ゾクゾクさせられましたし、私自身も度々彼女の演技と溢れる母性に助けられました。

朝海ひかるさんは、磨き上げられた技術とセンスをお持ちでありながら、それをひけらかすことなく、堅実にひな夫人という家政婦を演じてくださいました。しかし、ひとたびその仮面を脱ぎ捨て、黒蜥蜴の手下の青い亀になると、妄信的な宗教団体の参謀のような忠誠心と黒蜥蜴への深い愛情を示して下さいました。黒蜥蜴亡き後、ひとりその場を去る青い亀の踊る姿が、なんと哀しく、印象的だったことでしょう。

たかお鷹さんの洞察力と文学に対する愛は特筆すべきものでした。お若い頃に、三島や谷崎を官能小説代わりに読んでいらした経験から、三島の言葉への深い敬意を払っておいでだからこそ、宝石商の岩瀬庄兵衛という人物をユーモラスに演じてくださいました。常に舞台ととにあった人生にもかかわらず、毎度緊張なさるとおっしゃる姿から多くをまなばせていただきました。

成河さんのほとばしる情熱と、変幻自在な演技は、出演場面がわずかにもかかわらず、この作品をより豊かに彩ってくださいました。舞台に立つために生まれて来たとしか思えないほど、私が持ち合わせていない役者として必要なものを全てお持ちで、真逆の方だからこそ、羨ましくもあり、諦めもつきました。雨宮の変態ぶりと哀切を臆することなく演じられるのはこの方しかいないでしょう。

さらに、アンサンブルの皆さんの類い希なるチームワークは、想像を凌ぐもので、おひとりおひとりが確固とした力をお持ちだからこそ、誰一人として不平不満を述べることなく、ルヴォーさんの演出を信じて献身的に作品に携わってくださいました。

朱儒を演じたダンサーのお二人も、私の心に甚大な影響をもたらし、彼女たちの一挙手一投足が、黒蜥蜴の心の象徴のようでもありました。一切の言葉を持たずにあれだけの表現ができる松尾望さんと小松詩乃さんが羨ましくてたまりませんでした。

そして、劇場の空気を司る大きな要素がやはり、作曲家の江草啓太さん率いるBlack&Shadowsによるタンゴを基調とした生演奏でした。物語に没入し、私たち演じる側の心に寄り添いながら演奏なさるバンドの皆さんのお陰で、難解と思われがちな三島の詩的な言葉をわかりやすくお伝えすることが叶いました。

因みに、舞台上では基礎化粧品とファンデーション、更に口紅とマスカラは全てTV&MOVIEを使用しておりました。
黒蜥蜴の涙でメイクを崩すために使用したアイラインは、あえて他社の商品でしたが、マヌカハニーや馬プラセンタを贅沢に配合した美容液のようなマスカラは涙に濡れても落ちることなく、放射状にきれいに付いたまま、長さもボリュームも保ってくれました!

大阪の梅田芸術劇場にて大千穐楽を迎え、私たちは再び散り散りになって、三島由紀夫が描いた夢のごとき世界から、現実の暮らしに戻りました。
これまで「黒蜥蜴」を支えてくださった、全てのスタッフ、キャスト、そして観客の皆様に、改めてお礼申し上げます。

黒蜥蜴初日

Evocative set and lighting on stage

本日より『黒蜥蜴』が開幕いたします。

三島由紀夫の宝石のような言葉を、ルヴォーさんに導かれながら大切に研磨し、ようやく皆様にご覧に入れる日がやって参りました。

演技をする側の繊細な心を壊さぬよう、あたたかく親密な空気のなかで行われたお稽古では、動きや表現を指示されるのではなく、「このシーンでは黒蜥蜴が、明智に心を奪われたことに、怒りと不安を覚えているとしたらどうだろう?」などと問われ、自ら考える機会与えていただきました。
また、「明智に対する恋心を抱いている自分自身への苛立ちを、手下の雨宮に八つ当たりしているとしたらどうなるだろう?」とおっしゃるルヴォーさんの言葉から、台詞にこめる感情が幾重にもかさなってより深いものとなることに気付かされました。

井上芳雄さんの立て板に水のごとく発せられる台詞と美しい所作に、黒蜥蜴よろしく心を揺さぶられ、相楽樹さんの完成されたお人形ようなかわいらしさに、生クリームをつけて食べてしまいたいという衝動にかられ、朝海ひかるさんの謙虚で献身的なお芝居に、黒蜥蜴として存在することを支えられて安心感を覚え、たかお鷹さんのなりふり構わぬ守銭奴ぶりに笑わされ、成河さんの被虐的な演技に、ますます嗜虐性を喚起させられています。

花魁で言うところの禿(かむろ)のような立場で存在する朱儒たちは、コンテンポラリーダンサーの方々が演じて下さっており、黒蜥蜴に仕える者たちであるのと同時に黒蜥蜴の心のメタファーでもあり、私たちの演技に呼応するように踊る彼女たちの姿を見ていると、思わず涙を誘われます。

鍛錬されたしなやかな身体と卓越した演技力により、ルボーさんからの厚い信頼を得ているアンサンブルの皆さんも、この作品の時の流れを司る重要な役割を演じて下さっています。

そして生のバンドが三島由紀夫の世界とデヴィッド・ルヴォーワールドの架け橋となって、私たち出演者はもちろんのこと、観客の皆様を夢の世界へ誘うのです。

シンプルで洗練された美術も、レンブラントの版画のごとき美しき陰影の照明も、そして黒蜥蜴の心の有り様を託した繊細かつ大胆な衣装も、人間らしい表情を抑えたヘアメイクも、本番ギリギリまで試行錯誤し、ああでもない、こうでもないと、クリエイティブで前向きな議論が繰り返されています。

なんと幸せなことでしょう、この夢のような時間が夢のようであるために、本当にたくさんの方々が蔭ながら支えて下さっているのです。

皆様のご来場を心待ちにいたしております。

新春

Kiyomizu temple coverd with snow

あけましておめでとうございます。
皆様におかれましては、佳き休暇をお過ごしでいらっしゃいますか?

『黒蜥蜴』のお稽古も佳境に入って参りまして、全てのシーンを本番さながらに演じる通し稽古が数日にわたり行われています。
先日ははじめて、衣装を身に着け、メイクを施した状態で、早替えの練習をしたりもしました。

デヴィッド・ルヴォーさんの演出による機知に富んだお稽古は、演劇学校に通わせていただいているかのようで、かつての演劇界で起こった貴重なエピソードの数々を披露してくださり、常に笑いが絶えません。

ある日のお稽古では、旧約聖書について興味深いお話しをしてくださいました。
16世紀あたりまでは、イギリスおよびスコットランドにおいて聖書を英語に翻訳することは許されておらず(恐らく統治者にとって一般大衆に聖書を読ませたくない不都合な理由があったのでしょう)、原文のヘブライ語からラテン語、もしくはギリシャ語に訳されたもののみ許されていたとのこと、カトリックとプロテスタントの間の争いも緊迫した状況であった17世紀当時、スコットランド王でもあり、イギリス王も兼任していたプロテスタントのジェームズ1世(6世)が初めて英語訳聖書の編纂を命じ、当時の演劇界にて隆盛を誇ったシェイクスピアにもその誉れ高き仕事が回って来たというのです。

当時、46歳で油ののっていたシェイクスピアが、旧約聖書の詩篇46篇を翻訳し、そこにわずかな痕跡を残したとのこと、欽定訳旧約聖書の頁を開いてみると、確かにルヴォーさんのおっしゃる通り、詩篇46篇の冒頭から数えて46語目に震えるという意味のshakeという言葉があり、文末から数えて46語目には、なんと槍を表すspearという言葉が刻字されていたのです。
併せて見事にShakespeare(当時のスペルではSpearはSpeareと書かれたそうです)、彼の署名が人知れずなされていたという秘話に稽古場がどよめいたのでした。

アンサンブルの皆さんの絶妙なチームワークと生バンドによる音楽が、お客様を別世界へ誘う『黒蜥蜴』の場面転換は、出演者としてではなく、観客として客席で観たかったと思うほど素晴らしく、大きな劇場に立つことを恐れていた私も、ルヴォーさんの演出と、井上芳雄さんをはじめとする素晴らしい共演者の皆さんにゆだねていれば、何とかなるとの楽観主義に変わりつつあります。

1月9日より日生劇場、2月1日からは梅田芸術劇場にて上演されます『黒蜥蜴』をぜひご高覧くださいませ。

残酷劇場

A fragment of the stage floor

いつの間にやらすっかり枯れ葉散る季節となっていたのですね。

昨日より、舞台『黒蜥蜴』のお稽古が始まりました。
演出家のデヴィッド・ルヴォーさんを筆頭に、スタッフの皆様、25人もの出演者の皆様と共に、三島由紀夫の言葉を少しずつ噛み砕いていく日々が始まったのです。

ピーター・ブルック演出の『真夏の夜の夢』を13歳の時に観劇なさったルヴォーさんは、後々その時の作品についてピーター・ブルックが語っていた言葉を引用して、「『言葉が空中でぶつかり合っているような作品』という表現が、今回の作品にも相応しいだろう」とおっしゃっていました。

まずは全体の流れを大まかにつかむために、次から次へと存外のスピードでお稽古が進みます。
覚えていたつもりの台詞でも、実際に相手の役者さんの声を聴き、動きながら口にしてみると、言葉に詰まったりします。
待てど暮らせどルヴォーさんからカットのお声がかからず、「どこまで進むのだろう…..」と共演者の方々と目配せをしながら、探り探り台詞を交わすうちに、不思議と共犯者意識が芽生え始めました。
そして、なんと2日目にして台本の1/6頁分の動きが、暫定的ではありますが決まったのです。

稽古場に沢山の方々がいらっしゃることも初めてで、まるで突然観客の皆様の前で、未完成の作品を披露しているような、そんな恐ろしさがあり、ひそかに「残酷劇場」と名付けました。
これから本番までの間、ルヴォーさんの魔法の言葉に導かれ、共演者の方々の豊かで変幻自在な表現力に刺激をいただき、助けられながら、良き作品を作るための失敗を何度も繰り返すことになるのでしょう。
試みては壊し、壊した断片をすくい上げてはまた新たに築き上げることのできる贅沢な時間を楽しみたいと思います。

年明け1月9日より幕が開ける『黒蜥蜴』に、ぜひお越しいただけましたら幸いです。

Opera

“Fat House” created by Erwin Wurm at Schloss Belvedere in Vienna

ただ今、クリスマスマーケットにて賑わうウィーンにおりますが、心はどうも落ち着かず、気が急いて仕方がありません。

舞台『黒蜥蜴』のお稽古が間もなく始まるのです。
三島由紀夫さんが美輪明宏さんに懇願してようやく上演が叶ったというこの作品を演じることは、大きな覚悟を要することです。
美しい言葉で語られる名探偵明智小五郎と女盗賊黒蜥蜴の攻防戦は、究極のエンターテインメントであり、大人のロマンチックなラブストーリーでもありますが、台詞の美しさゆえに、私の中で理性と感情が激しく闘っています。
おぼろ気な記憶のままでは、言葉を探すことに必死になって心の扉を解放することができません。また、感情ばかりが先走っても、言葉が置き去りにされてしまいます。

一日も早く、言葉の呪縛から解放されて、自由にのびのびと台詞を口にすることができるように、ただひたすらに台本を読む日々です。
記憶力を助けるために、ピンクの紙に青で印字した台本をipadに入れて、ジムのウォーキングマシンや、ステップマシーンの上で汗だくになりながらぼそぼそとつぶやいています。

夜には、身のこなしや声の響きを学ぶため、国立歌劇場にてオペラ鑑賞を。
天井桟敷なら14ユーロなどと格安でチケットを入手することが叶い、時には上演開始ギリギリで、「持って行け泥棒!」とばかりに、チケットの投げ売りを始めるディーラーがいて、挙げ句の果てに「もういいよ、君にあげるよ」と無償でチケットを譲っていただけることすらあるのです。
そうして座った席の隣には、何十年も暇つぶしにオペラ鑑賞をしていらっしゃるという高齢のご婦人がひとりで腰掛けていらして、「あのテノールのテクニックは素晴らしいわ」などと、様々教えてくださいました。

『蝶々夫人』など、女性蔑視もはなはだしい上、人種差別的で、20数年前に鑑賞して以来、ずっと苦手な演目でしたが、かつて映画にてその妻を演じさせていただいた藤田嗣治が美術を手がけていたため、あまり期待せずに聴きに行ったところ、蝶々夫人がわずか100円(現在の価値で100万円ほど)でアメリカ人に買われて嫁ぐ際に、「いずれはアメリカ人の妻をめとるつもりだけれど、とりあえずつかの間の結婚を」というくだりで、やはり憤りを覚え、日本文化を少々誤解している節が多々あり、違和感を拭いきれないものの、結末はわかっていても、夫と息子を同時に失った蝶々夫人が自ら死を選ぶ際には、悔しいかな泣かされてしまうあたり、やはり良く出来た物語なのでした。
きっと、エジプトの方々が『アイーダ』をご覧になっても、同じように違和感を抱かれるのでしょうが、私たち聴衆はそんなことも気にせずに感涙にむせぶのですから、作劇の過程において誇張表現は必要悪とも言えるのでしょう。

伝統芸能と言えるオペラも様々な試みがなされ、絢爛豪華なセットにまばゆいばかりの衣装といった作品ばかりではなく、普遍的な物語をいかに今の時代に即した表現に置き換えるかという模索がなされているようです。
成功例も失敗例も様々あるようですが、勇敢な挑戦の目撃者であり続けたいと思います。

デヴィッド・ルヴォー氏演出による『黒蜥蜴』は年明け早々の1月9日より日生劇場にて上演です。
ぜひ足をお運びくださいますよう、お願い申し上げます。

摩天楼

Overwhelmed by skyscraper in Shanghai

しばし中国へ出かけておりました。
かつてアジアにて覇権を誇った彼の国が、文化大革命によって失った勢いをすっかり取り戻し、発展し続ける姿に圧倒されました。
日本でもここ数年で中国からの観光客をずいぶん見かけるようになり、彼らによる爆買いの有無が私たちの暮らしに影響するほどにまでなりましたが、中国本土に渡ってみると、諸外国の支社や支店が日本から撤退して、あちらでのビジネスに活路を見出そうとする意味を痛感させられました。
マカオに至っては、カジノが隆盛を極め、眠らない街と化した中心部では、新たなホテルが次々に建設されています。人生そのものがギャンブルのようなものだと思っているため、賭け事には全く興味のない私でも、人々が真剣勝負をする巨大なカジノに思わず見入ってしまいました。道を誤って訪れたあるホテルでは、浮き世の雑事を全て忘れさせ、夢心地にさせて浪費させるための竜宮城のごとき装飾に目がくらみそうになり、恐ろしささえ覚えました。

経済の発展と共に、かつて失われてしまった文化を取り戻し、市民の日常に潤いを与えようとする姿勢も各地に新設された美術館や劇場、コンサートホールなどから伺い知ることができます。
音楽に親しむ人口も増え続けているようで、アンドリス・ネルソンス氏がタクトを振ったコンサートを鑑賞する方々の示す音楽への理解の深さに、クラシック音楽の未来は決して暗いものではないと、希望を抱くことができました。

ご存じの通りGoogleやSNSのいくつかに国の規制がかかり、日本とのやり取りに少々困難を覚えましたが、その一方で、中国の都市部ではITの普及率が凄まじく、アリババの系列のアリペイや、中国独自のSNSであるWeChatによるWeChat Payなどでの決済が当たり前に行われていました。

上海、南京、マカオと訪れる中で、とりわけ南京では日本人であるがゆえに忌み嫌われることを恐れていました。
しかし、訳あって深夜に友人と訪れた南京の火鍋屋さんにて、思いがけずおいしい和牛の薄切り肉にあずかり、繊細に切り分けられた野菜や薬味を滋味深いスープと共に味わう傍らで、iPhoneの翻訳アプリにて、必死に私たちと会話をしようと試みる若いスタッフに癒やされました。
お店の方のご厚意によってマンゴーまでいただいてしまったのですが、会計時にクレジットカードが使用出来ず、現金が不足していたため、近くのキャッシュディスペンサーにて現金の引き出しを試みるもうまくいかず、お店のかわいらしいお嬢さんたちと渡り歩いた3件全てにて手持ちのカードが使用できず、あわや無銭飲食の罪に問われるのかと思いきや、かわいらしいお嬢さんと、店長らしき青年がホテルまで集金に来てくださることになったのでした。
同乗したタクシーにて、「恥をかかせてごめんなさい」と、件の翻訳アプリを私たちに見せるお嬢さんの健気さに、心を鷲づかみにされました。

エンジン音の聞こえない電動バイクが横断歩道を行く歩行者のことなどお構いなしに走ったり、歩道ですら我が物顔で走行することには辟易しましたし、高層ビルが林立する摩天楼の傍らで、わずかな商いをするあばら屋のご主人を見かけると、格差の拡大は日本の比ではないことを突きつけられましたが、10年ほど以前に訪れた時よりずいぶんと過ごしやすく感じられました。

めざましい発展を遂げる近隣諸国から日本だけが取り残されてしまったような寂しさも否めませんが、私たちには、私たちの良さがあると信じています。

さて、連続ドラマW東野圭吾『片想い』が毎週土曜日22:00よりWOWOWにて放送中です。性同一性障害に苦しむ主人公の美月を演じておりますので、ぜひご加入の上、ご覧いただけましたら嬉しいです。

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