Mark Rothko

Mark Rothko exhibition at Kunsthistorisches Museum in Vienna

新たな時代の幕開けとともに長いお休みを堪能なさった方々、あるいは変わらずお仕事や勉学に邁進なさった方々、様々いらっしゃることでしょう。
ゴールデンウイークにお休みをいただけることなど、ここ数年はなかったのですが、「Followers」の撮影中にもかかわらず、久々に暦通りの長いお休みをいただくことが叶い、しばしウィーンへ戻っておりました。

ハプスブルク家とモーツアルトをはじめとする名だたる作曲家たちの残した遺産によって未だ観光地としての魅力が絶えない彼の地では、何か特別なことをせずともただ街歩きをしているだけで、時間を有意義に過ごすことができます。
東京の人口約930万人と比較しても、オーストリア全体の人口が約880万人と、いかに小さな国であるか驚かされるのですが、そんな小さな国の首都ウイーンは、音楽に美術、建築、文学、精神医学や心理学(あのフロイトもアドラーもウイーンの出身です)などの文化が豊かに花開いた街でもあります。

この度は、歴史あるコンツェルトハウスにてウィーンフィルの演奏によるマーラーの交響曲8番を聴く機会に恵まれ、合唱団と8名もの独唱者を加えて200名以上(1000人のシンフォニーとの呼び名もあるほど)がステージで共に音楽を奏でる壮大な名曲に心を震わせました。

また、サマータイムにて夜の8時でもまだ明るいこの頃では、夕食後に街歩きをすることも珍しくなく、ホロコーストの生存者のポートレート写真が並べられたリング通りを歩きながら、フランツ・ヨーゼフ1世の命によって19世紀に建立された壮麗な美術史美術館を訪れました。
目的は、他でもなく近代絵画史の中で最も心酔する画家マーク・ロスコの展覧会でした。

面と線だけで2〜3色の色彩をただひたすらに描き続けたマーク・ロスコの作品は、一見したところ感じる静けさのみならず、よくよく眺めてみると、猛々しさをも持ち合わせているように思えてなりません。
確か20歳の頃にパリのポンピドゥセンターだったか、ニューヨークのMOMAだったかで初めて鑑賞して以来、誰かに理解されたくとも理解されない苦悩のようなものが滲み出る彼の作品に触れる度に、息が止まりそうになります。
ロシアからユダヤ人の移民として家族とともにアメリカに渡ったマーク・ロスコヴィッツ改めマーク・ロスコは、若かりし頃こそ、様々な画風を試み、写実主義ではないものの静物画やポートレイトを描き、シュルレアリスムに興味を示しては、ピカソの真似事のようなスタイルにも挑戦しつつも、1930年代から色調やモチーフに一貫性が見受けられました。
年齢を重ねるごとに用いる色の数は少なくなり、モチーフも簡素化され、一点一点が心にずしりと重く響く作品を描くようになります。
晩年はアンディー・ウォーホールやロイ・リキテンシュタインなどのポップアートの台頭によって自身の存在価値を脅かされ、人を信用しなくなり、孤独の果てに自ら命を絶ってしまうのです。
2009年に川村美術館でのロスコ展の折に、最晩年の漆黒の世界を描いたシリーズを拝見して、胸がキリキリと締め付けられたことが今でも忘れられません。今回は最晩年の漆黒の作品はわずかのみでしたが、初期の多様な作品から、いかにして彼がマーク・ロスコらしい作品にたどりついたのか、その変遷を垣間見ることができました。

ことほどさようにウィーンの街歩きは興味が尽きませんが、思えば日本にも、素晴らしい美術館や博物館がたくさんありますね。
次はどちらの美術館を訪れようか、思案中です。

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