夢のあとさき

The enjoyable emptiness

2月5日を持ちまして、『黒蜥蜴』の全公演が終了いたしました。
劇場へお越し下さったお客様、そしてお花やお菓子、お弁当など、様々なお心遣いをお贈りくださった皆様に、心より感謝いたしております。

実のところ、前作の『猟銃』にて、二度と舞台に立つことはないだろうと心に誓ったため、まさかこうして再び舞台の上で演じる日が来るなどとは思っていませんでした。
国内外を問わず、良質な作品を鑑賞する機会に恵まれ、そうした作品が自分自身の揺るがぬ基準となってしまった以上、どうしても舞台に携わる度に身体的にも精神的にも、時間的にも経済的にも払う犠牲が多くなり、もうこれ以上は無理だと思っていたのです。

しかし、梅田芸術劇場の村田裕子さんより、三島由紀夫の珠玉の作品をデヴィッド・ルヴォーさんが演出なさるという貴重な機会を与えていただき、つい心動かされてしまったが最後、再び美しい言葉と闘い、自由に羽ばたくためにもがく日々を選択してしまったのです。
しかし、その旅路は、思いのほかあたたかく、心地よく、まるでヒマラヤの高山に、シェルパの厚いサポートを受けつつ、酸素や温かい食事を提供され、至れり尽くせりの環境でいつの間にか登頂してしまったような感覚すら覚えました。
全てはデヴィッド・ルヴォーさんの円熟した演出のなせる技で、出演者の全てに等しく愛情を注ぎ、必要以上のプレッシャーを与えず、赤子を育てるかのように大切に繊細に導いてくださったからこそ、硬い結束が生まれ、皆が同じゴールに向かって心をひとつにすることができたのでしょう。

井上芳雄さんの、経験と努力に裏打ちされた安定感ある演技と緩急自在な声に支えられ、ザイルパートナーとして命を預けることができると思えるほど、私のミスと不安も全てカバーしていただけるという安心感が常にありました。一年中舞台に立っていらっしゃるにもかかわらず、そこに安住することなく、常に挑戦し続け、緊張感を失わない謙虚な姿勢には頭が下がる思いでした。

相楽樹さんの、年齢にそぐわぬ落ち着きと、色香は、無垢な早苗を演じていても、替え玉の早苗を演じていても良きに作用し、三島の言葉を演じるにはただの若いお嬢さんではできなかったことを、日毎に実感させられました。奴隷の雨宮とともに閉じ込められた檻の中のシーンで愛について語る声は秀逸で、ゾクゾクさせられましたし、私自身も度々彼女の演技と溢れる母性に助けられました。

朝海ひかるさんは、磨き上げられた技術とセンスをお持ちでありながら、それをひけらかすことなく、堅実にひな夫人という家政婦を演じてくださいました。しかし、ひとたびその仮面を脱ぎ捨て、黒蜥蜴の手下の青い亀になると、妄信的な宗教団体の参謀のような忠誠心と黒蜥蜴への深い愛情を示して下さいました。黒蜥蜴亡き後、ひとりその場を去る青い亀の踊る姿が、なんと哀しく、印象的だったことでしょう。

たかお鷹さんの洞察力と文学に対する愛は特筆すべきものでした。お若い頃に、三島や谷崎を官能小説代わりに読んでいらした経験から、三島の言葉への深い敬意を払っておいでだからこそ、宝石商の岩瀬庄兵衛という人物をユーモラスに演じてくださいました。常に舞台ととにあった人生にもかかわらず、毎度緊張なさるとおっしゃる姿から多くをまなばせていただきました。

成河さんのほとばしる情熱と、変幻自在な演技は、出演場面がわずかにもかかわらず、この作品をより豊かに彩ってくださいました。舞台に立つために生まれて来たとしか思えないほど、私が持ち合わせていない役者として必要なものを全てお持ちで、真逆の方だからこそ、羨ましくもあり、諦めもつきました。雨宮の変態ぶりと哀切を臆することなく演じられるのはこの方しかいないでしょう。

さらに、アンサンブルの皆さんの類い希なるチームワークは、想像を凌ぐもので、おひとりおひとりが確固とした力をお持ちだからこそ、誰一人として不平不満を述べることなく、ルヴォーさんの演出を信じて献身的に作品に携わってくださいました。

朱儒を演じたダンサーのお二人も、私の心に甚大な影響をもたらし、彼女たちの一挙手一投足が、黒蜥蜴の心の象徴のようでもありました。一切の言葉を持たずにあれだけの表現ができる松尾望さんと小松詩乃さんが羨ましくてたまりませんでした。

そして、劇場の空気を司る大きな要素がやはり、作曲家の江草啓太さん率いるBlack&Shadowsによるタンゴを基調とした生演奏でした。物語に没入し、私たち演じる側の心に寄り添いながら演奏なさるバンドの皆さんのお陰で、難解と思われがちな三島の詩的な言葉をわかりやすくお伝えすることが叶いました。

因みに、舞台上では基礎化粧品とファンデーション、更に口紅とマスカラは全てTV&MOVIEを使用しておりました。
黒蜥蜴の涙でメイクを崩すために使用したアイラインは、あえて他社の商品でしたが、マヌカハニーや馬プラセンタを贅沢に配合した美容液のようなマスカラは涙に濡れても落ちることなく、放射状にきれいに付いたまま、長さもボリュームも保ってくれました!

大阪の梅田芸術劇場にて大千穐楽を迎え、私たちは再び散り散りになって、三島由紀夫が描いた夢のごとき世界から、現実の暮らしに戻りました。
これまで「黒蜥蜴」を支えてくださった、全てのスタッフ、キャスト、そして観客の皆様に、改めてお礼申し上げます。

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